西洋結婚史



(6)花嫁道具(Trousseau)の起源
 「花嫁道具」の語源は、少しの束を意味するトラス(truss)からきている。昔は花嫁道具は持参金の性質をもち、花婿が花嫁の父に支払った金や品物に対して、間接的にお返しをする方法であった。売買結婚の後期段階になると、花嫁道具は彼女の持参金として譲り渡された。売買結婚の衰退期には、花婿は金も物も花嫁の実家に贈らなかったが、父は娘に相続財産として持参金を渡したのである。持参金がどのように花嫁道具に変わっていったのであろうか。ルーマニアでは、女性は若い頃から花嫁衣装を作った。そして新郎は花嫁道具を調べ、それが充分かどうか調べる権限を持っていた。そして花嫁道具の多さは花嫁を選択するときの基準となったという。
 ギリシャでは、娘が結婚する前に息子が結婚するという習慣はなかった。息子はまず姉妹たちを結婚させるために花嫁道具の準備に協力したのである。

(7)ウエディング・ケーキ
 古代ギリシャでは新郎新婦はゴマのケーキを一緒に食べ、古代ローマでは迎妻式のあとケーキをジュピターの神に捧げ、そのあと証人の前で夫婦がそれを一緒に食べた。

◎結婚式のケーキ
 多くのアメリカ・インディアンが、結婚式でウエディング・ケーキを用いた。イロコイ族は、結婚祝宴で特別な種類の食事ケーキを作った。花嫁はケーキを作り、新郎にそれを捧げた。この習慣が今に残った。それに類似した習慣は、フィジー諸島の間でも見付けられる。初期のアングロサクソン人は、結婚式に小さい乾いたクラッカーが入った巨大な篭を提供した。客はそれをポケットに入れ自宅にもち帰った。そして残った菓子は、貧しい人々に配布された。後でそれは小さいロールバンに変わり、それをテーブルの上に高く積むという習慣になった。花嫁と新郎がこの積重なったバンの上で、お互いにキスすることが人気のある習慣となった。そして彼らが成功するならば、生涯の繁栄が約束されたのである。

◎今日のウエディング・ケーキの起源
 フランス人のコックが、ロンドン滞在中に何百もの小さいスパイスケーキを山のように積むことの不都合を見て、ケーキの山に糖衣をかけて一つの塊にすることを思いついた。そのようにしてウエディング・ケーキが生まれた。
 ケーキに最初のナイフを入れることは、花嫁の伝統的特権である。迷信では、他の人が最初にケーキを切ると、花嫁の幸福と繁栄が切り分けられるという。
別の古い習慣では、ケーキは輪で作られ、それに触れた人が、次に結婚するという信仰があった。そして別の習慣は、自宅に花嫁のケーキの断片を持って帰り、それを枕の下に入れて寝るならば、未来の夫が夢に現われるという。

(8)米をまく習慣
 花嫁と花婿の後に米を投げる習慣は、昔から行われていた。古代人にとって、米や穀物は多産の象徴であり、結婚式の結合による豊饒性を表わした。古いギリシアの習慣では、花嫁花婿の上に小麦粉と砂糖菓子をかけたという。初期のアングロサクソン人は穀物を使い、ある国民の間では小麦が使われた。ギリシャでは、花嫁の持参金を運んだラバに生の綿を置くことが慣習となっている。持参金を運んだラバが花婿の家に着いたとき、彼の母は儀礼をくり返し、荷物に別の綿を置いた。それは花嫁花婿の未来の大きな幸福を願ってのことであった。

◎米をまく理由
 米をまく起源には異なった説がある。花嫁花婿に米を投げるのは、彼らを取り巻く悪い霊に食物を与えるためであると言う。原始的信仰によれば、婚姻には常に悪い霊が現われる。そこで米はこれらの霊をなだめるために、そして2人を悪から守るために米を投げる習慣が始められたといわれている。
 また別の意見は、米が花婿の魂を定着させる働きであるとする。例えばギリシャでは、花婿の魂は婚礼の際に飛び出して返ってこなくなるという信仰が広く行きわたっている。これをとどめるために、米を彼の上にばらまくのである。これによって魂は、肉体にとどまるのである。

(9)ハネムーンの起源
 古代のヨーロッパの北の国々で、新婚のカップルは、結婚の後の30日にメテグリン(蜂蜜酒の一種)かミード(蜂蜜から作られた一種のワイン)を飲む習慣があった。この習慣から用語「ハネムーン」(蜂蜜月)や「新婚旅行」が発生したと言う。伝説によるとアッチラ(フン族)は、彼の結婚式饗宴ではちみつ酒を飲みすぎで死んだといわれている。略奪結婚の時代には花婿は花嫁と一緒に、彼女の捜索者が諦めるまで隠れていることが必要であった。この 「隠れている期間」が、新婚旅行の起源を指すようである。

(10)その他の起源
◎独身者の夕食

 独身者の夕食(bachelordinner)の習慣は、古代のスパルタに源を発した。スパルタでは花婿が結婚式の直前に友達と一緒に夕食を取る慣習であった。これは「バチュラー・パーティ」として今も残っている。

◎結婚式の教会の鐘
 鐘は、イングランドに源を発し、中世では花嫁が教会に入った時に鳴らし、彼女が夫と腕組して出てきた時に、もう一度鳴らす慣習があった。この習慣は今日もまだ用いられている。

◎純潔の白色
 古代から花嫁の純潔の象徴として白色を身につけた。しかしそれ以前には白色は喜びを示した。古代ローマ人は、ハレの行事である出生や祝祭日に白を身に付けていた。白のバラは古代ギリシア人の間で喜びの象徴であった。様々の国民の間で白色は純潔を意味するだけでなく神聖な色とされた。中央アフリカの原住民は白の象を崇拝した。そして今日では、白は花嫁のガウンのもっともポピュラーな色となっている。

◎サムシング・フォー
 挙式当日の花嫁が、身に付ける4つの象徴。何か古いもの(サムシング・オールド)、何か新しいもの(サムシング・ニュー)、何か借りたもの(サムシング・ボロー)、何か青いもの(サムシング・ブルー)を身に付けると必ず幸せになれるといわれている。この習慣は、古代イスラエルから伝わったもので、当時彼らはフリンジを付けた衣装の裾に青のりボンを着けた。この青は純潔と愛と信頼を表わす色である。花嫁は今日でも、ドレスに少し青を取り入れるように勧められている。サムシング・オールドは祖先から譲り受けた富の象徴。祖母から譲り受けた古いアクセサリーなどがある。サムシング・ニューは、新しい生活の象徴で、心を新たに新しい生活を作ろうという気持を表す。サムシング・ボローは、隣人愛の象徴で、親友が結婚式で使ったベールなどを身に付けてその幸福にあやかる。サムシング・ブルーは花嫁の純潔の象徴で、さりげなく青の色を着ける。

◎ジューン・プライド(6月の花嫁)
 「6月の結婚」は幸運であるという考えは、古代ローマ人の信仰であった。かって女性の守護神であるジュノーの祭礼が6月1日に行われ、その女神が二人の新しい人生を守護し、幸せをもたらすといわれる。

◎結婚式の迷信
 新郎が花嫁を抱いてドアの敷居を越す習慣がある。古代のローマでは、花嫁は入口で抱きかかえられるか、それを跳び越えた。敷居につまづくことは不運の前兆と信じられ、花婿は花嫁を抱いて入ったのである。
 1559年の古い暦に、「結婚または、妻を見いだす良い日」のリストが載っている。西洋人は金曜日を仏滅のように嫌い、「6月の結婚」に対する好みがある。このような迷信には根拠は無いが、まだまだ時代を超えて残ることだろう。


古代 ギリシャ・ロ−マ 中世(5〜15世紀) 近世 近代(18世紀〜)
形式 父系首長支配下の婚姻 本人の自由で婚姻が出来た 結婚も教会法に規定。また父母、後見人の同意が必要 宗教改革により、姦通による離婚が容認 フランス革命により結婚は民事婚となる(1791)
儀式 - 花嫁の家での宴会のあと、新郎の家へ行列 10世紀に協会でミサを受けるようになる - 判事の前で誓う「民事婚」の登場(19世紀)
特色 - 花嫁はベールをかぶる。結婚指輪の登場 離婚の禁止、異教徒との結婚の禁止 花嫁は持参金が必要 欧米で、戦後離婚率が増大
結婚年令 - - 13世紀の法律男子14才、女子12才以上 - アメリカの法律男子18才女子16才以上


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